憑依呪術の実例をあげておきたいと思います。

これによって憑依呪術というものを実感できるでしょう。

例の一つは平安時代のものです。

『源氏物語』「若菜下」に出る紫上が六条御息所の死霊に愚かれる話で、フィクションとはいえ当時の憑依呪術の実状をよく反映しているものと思われる。

原典は長文にわたるので、ここでは山折哲雄氏の要約(「愚霊と除祓1『憑く・愚ける・愚けられる』の三元構造」『日本人の霊魂観』)をさらに切り詰めて掲示することにしたい。

「源氏と紫上が、すでに死んでいる御息所の噂話をすることがあって、まもなく紫上が病に臥す。

護持僧や夜居僧が呼ばれて不断の祈薦や読経が続けられ、不動法を中心とする壇法が行なわれたが、紫上はあっどいうまに失神してしまう。

源氏は、それが物怪の仕業であるとして、ただちにすぐれた験者を集めて加持をさせます。

(略)するとなかなか正体をあらわさなかった物怪が、愚坐の小童にのり移って叫び声をあげはじめ、それをしおに紫上は蘇生した。

小童に駆り移された物怪は、源氏だけに心のうちを明かしたいといって余人を遠ざけ、恨みの言葉を言いはじめます。

(略)源氏は、物怪(=小童)を一室に封じ籠めて、紫上を別の部屋に移す」

以上です。

ちなみに占いについては、占いはこちらがいいよ!と友人に教えてもらったので行ってみようと思います。

「どこで降りるの?」と聞く彼女。


「○○で。でも、このバスのライン、初めてなのでよくわからなくて「大丈夫。私がよーく知っているから教えてあげる。任せておきなさい」しばらくたわいない世間話をしていると、シニョーラが言いました。


「もうすぐ停留所よ。さ、降りる用意をして!大きな荷物があるんだから気をつけなさいね」ハッパまでかけられてしまった。


「さようなら、奥さん。お元気でね」


「ありがとう。あんたもね」彼女の顔は、もうノンナではなく、シニョーラそのものの若々しさになっていました。

彼女はハンドバッグに手を入れ、しきりにまさぐっています。


口紅を探しているようだ。


「おかしいねーえ。どこにいったんでしょう。ちゃんと入れたはずなのに・・・」


「ありますよ、大丈夫!落ちついて、落ちついて。よーく捜してみることですよ」私はもう必死。


なぜなら、もし口紅が出てこなかったら、と考え、不安だったのだ。


せっかく少々気を取りなおしかけた彼女なのに、また「ディスペラータ」の連発が始まるではないか、と案じた。


でも口紅はやっと見つかった。


ホッ・・・、そして、バンザーイ!


ベージュがかったピンクの口紅をつけたシニョーラ。


「どうかしら?」と初めて微笑んだ。


「ステキ!すっかり若々しくなって元気も出てきたみたい。よくお似合いですよ、その口紅」それは真実の発言だった。


バスに乗り込んできたときとは別人のようにイキイキとした顔になっていました。


その後、「ディスペラータ」の眩きは消えてしまったのです。

ちょうど母ぐらいの年齢のシニョーラ。


なんともお気の毒でならず、つい、会話を続けてしまった。


「そんなあ・・・。何か食べなきゃダメですよ。絶対に。睡眠のほうはいかがですか?」


「寝ることは寝てるわよ。でも、薬でね。睡眠薬がないと寝つかれないから」


「奥さん、奥さんなんかまだまだお若いんだから元気を出してください。私の両親なんか、もう70代の半ばに入るところですよ。奥さんはもっとお若いでしょうに」


「うん、そうねえ、70をすぎたばっかりだけど・・・」


ここで老婦人の顔に、ほんの僅かながら血の気が戻ってきたようだった。


「あら、奥さん。おしゃべりをしているうちに気分がよくなられた感じですよ。お顔にも活気が出てきたし」


「そーお?そうかしらね~え。ひょっとして、口紅でもつければもっといいかしら?」


想像だにしていなかった反応に内心驚きながら、「そうですね」と答えました。

ディスペラータとは「失望した」「絶望的だ」という意味です。


かなりハードな精神的ショックを受けたときに発せられる言葉です。


あまりの緊迫した状況に、殺気すら感じた私。


彼女の様子を見ていると、今にも倒れんばかりの症状でした。


思わず、尋ねないわけにはいかなかった。


「どうされました?大丈夫ですか?」


「ありがとう。・・・ディスペラータ、ディスペラータ・・・」いけない。


ますます様子がおかしい。


「気分でも悪いんですか?」


「そうなの。わかる? ディスペラータ・・・」


「Mi dispiace・・・(I'm sorry・・・)」


「このところ、ずっと、何も食べられなくてねー。本当になーんにも食べられないんだよ」

太陽がサンサンと照り映える、初夏の昼下がりどきのことでありました。


ミラノでは、こんな老婦人に遭遇した。


けっこう混んでいるバスに腰掛けていると、70歳をとっくに越えたと思われるシニョーラがヨロヨロと乗り込んできた。


大きな荷物を膝に抱えていた私だが、すぐに席を立とうとした。


だが、隣りに座っていた初老の婦人が私を制す。


そしてサッと立ち上がりました。


「私はすぐ降りるから」


「でも・・・(と腰を浮かす私)」


「いいの、いいの。あなたは荷物があるんだから、そのまま座っていなさい」


よろけるように空いた席に近づく老婦人の腕を取り、腰を下ろすのを手伝う。


「ありがとう」。


ささやくように礼をつげる老婦人。


そのあと「ディスペラータディスペラータ」と何回も眩き、涙を流さんばかりなのだ。


つづく・・・

藤原嘉明

昭和24年4月27日、岩手県に生まれ、少年時代は武道にはげみ、高校卒業後はボディビルに凝る。

昭和47年5月、新日本プロレスへ入門、11月にデビュー戦。

昭和51年5月には、"猪木対アリ戦"に備えての猪木のスパーリング・パートナーとして起用される実力者となりました。

その後、猪木とともにパキスタン、ヨーロッパ、韓国の遠征にも同行しました。

昭和55年1月、初渡米して、ゴッチ道場に入門してきたえられました。

新日本プロレスを去ってUWF入りしたのは昭和59年6月27日。

木村健吾

昭和53年12月、NWA世界ライト・ヘビー級王座を奪取(エル・ファラオンを破り)、㎜日間同王座を保持した。

昭和55年7月、藤波が返上したNWA世界ジュニア・ヘビー級王座を、ブレッド・ハートを破って獲得する。

藤波とのコンビで、WWFインターナショナル・タッグ王座も獲得していました。

新日本におけるポスト猪木の座は、むしろ本稿執筆の現在(昭和60年)、藤波よりも大型の木村に移行した感があり、"稲妻ラリアット"の威力が怖れられていました。

都市の規模においては、江戸は17世紀後半すでに世界でロンドンと対立する巨大都市となっていました。


すなわち人口100万を前後し、ロンドンの70万前後を超えたのです。


17世紀以後の世界史をみれば、東の江戸、西のロンドンと並びたつ形であったのです。


この江戸が1868年に東京と改名し、新しい日本の首都として近代的都市の形をとり始めるが、その中心モメントは何だったのか。


現在の複雑な東京のオフィス賃貸を、そのもっとも基本的な都市計画の単位に分解し、その原点をさかのぼってみようと思います。


現在の東京の実際の動きを大きく決めるものは、交通網です。

木村健吾

昭和28年9月4日、四国の新居浜市に生まれ、中学卒業後、大相撲の宮城野部屋を経て、昭和46年1月、旧日本プロレス入り。

坂口の付け入から、昭和48年3月、新日本プロレスに移籍。

昭和53年6月、初の海外遠征、ロサンゼルスで、フリーの上田馬之助と組んで、アメリカス・タッグ・チャンピオン、またメキシコにも転戦しました。

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